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zzzZ 只当我沉睡 Zzzz


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山月记 声音的失去与阵痛

  1. 2006/11/26(日) 23:26:35|
  2. 逢魔悲歌[音]
  3. | コメント:0
  这张让我放下repo和小司生日贺文的CD,是以 中岛敦 的原作《山月记》为蓝本,三木真一郎与小西克幸共同朗读的语音版小说【啊,姑且这样子称呼吧】。

三木眞一郎※小西克幸ファンのみならず、『山月記』のファンも必携の1枚です。  
原作:中島敦


発 売 日 2006/07/19
曲目
1 序章 (じょしょう)
2 邂逅 (かいこう)
3 告白 (こくはく)
4 変化 (へんげ)
5 哀別 (あいべつ)
6 残月 (ざんげつ)
ストーリー
李徴(りちょう)は、詩作という芸術への強く激しい懐(おもい)ゆえ、人虎に変化(へんげ)してしまう。
ある日、山で偶然再会した官僚時代の友人袁参(えんさん)に、徐々に人としての心を失い、虎そのものになりつつある苦悩と、虎になってもなお諦めきれない芸術への懐(おもい)と、そして人としての最後の願いを語る。
芸術を追い求め虎に変身してしまう李徴(りちょう)と、虎と成り果てた過去の親友と再会する官僚として出世した袁参(えんさん)。
二人の対照的な生き方はすべての人が共感できる部分があるのではないか?


以下女王编造:

  文学是非常奇妙的东西。
  纸张和书本也是。
  当文字中的感情以声音的方式呈现时,总会多多少少的有一些缺失。
  或许可以称之为距离真实最近的,达不到真实的现象。
  纸面的感情过于浓厚,而声音想要把人类心理上的情绪波动完全的总结并加以表现,这种行为本身就是消磨了部分——想象。
  在文学作品中最能够表现文字的扩张力的元素被减少,所以我认为任何一种表现形式都是次于文字本身的表现力的。

  三木与小西的山月记。
  非常的温和。
  二位资深声优,脱离浸染于bl drama中情爱欲望的纠葛,演绎出人生的苍凉与生存的无奈。

  在近似哀乐的曲调中渐渐现形——的是背景介绍……
  序章的内容包括李徴从出仕到失踪以及袁傪的出现。

  从邂逅开始。
  李徴出现了。
  从兽性中清醒过来的李徴,因羞愧而无法面对友人的涩抖的声线,穿过草丛传向三木所演绎的袁参。

  如原文中所说的,袁傪对于李徴的友情意识更近似于『君子之交淡如水』这样的。
  重逢后的惊讶更多于惊喜,保持着草丛的距离决不单单只有善意的理解——当然袁傪本性就很随和,否则也不会与孤高的李徴有对谈的交情——还有圆滑与当时对虎的畏惧。
  把这些感情都以平淡的口吻表述出来的三木,或许会被人说成是表现的过于轻松。
  但是考虑到仕途奔波者的身份和处境,长期保持这种状态相信才是最合适的。

  李徴。
  小西的李徴本身就是站在一个奇妙的角度看世间万物。
  身为人历尽沧桑郁郁不得志,身为虎浪迹山野无所定踪。
  人与兽的艰辛都经历过了,还不得不时时自危。
  最初与袁傪对话时,李徴的声音还带着些许颤抖。
  好久不曾与人类以人类的身份对话。
  言语发音生疏了,压抑的感情也即将爆发。

  告白和变化部分。
  在我听来,李徴应该是克制了自我曾为人的这种意识,以超脱人与兽的第三种中间形态审视着李徴的整个生存过程。
  虽然这是非常难以达到的无我境界,但李徴的特质就在于他在这段重逢中找到了第三种理解,只是最终他选择了其中一方——这是后话了。
  叙述中还可以听到,有些边角细节的记忆依然会影响到李徴的情绪,此时极低的音乐不知不觉的将人包围。

  哀别。
  袁傪心情并没有李徴那样复杂。
  他对于李徴抱有一段友人的回忆,对于李徴如此曲折悲惨的命运尽管很难过也很无力。
  听到李徴的声音讲述的一切,袁傪也只能报以遗憾与悲叹。
  转身,他唯一能做的是转身继续自己的人生奔波。
  李徴对于袁傪,对于多年无音信的家人,止于挂念和惭愧。哀别一幕中他所托付袁傪的,其实很多都沉没在潜台词里面。
  『只要还有一个人记得李徴我,曾经身为人的事实,并且将我的经历放在心底沉淀为一段记忆——就足够了。』
  绝对说不出口,身为人的悲哀、遗憾、怨恨、留恋。

  残月。
  很好的做到淡入淡出的效果。
  ………………
  偷懒不想写了。
  只说爱死那声虎啸的处理!

结:
  两位仕者面对繁华落尽、物是人非,心已经麻木,却固执为自己掉泪。

  呼。
  编造完毕。
  以我的日语听力,想要完全说是听懂那是胡说。这些只是我在参考了几遍原著【译文】后,随手写写的。
  小说是经典。喜欢的可以往下看附录。我决定去找作者的书拜读。

  小西大人……阔别多年,我还是喜欢你的演绎方式,每次都是很用心的在研究剧本。
  不过bl drama——你还是少配一些好灭?总觉得现在的你比以前阴柔了……

  声优真是厉害的职业。
  女王是不是该朝萝莉声优努力……?

附1作者介绍。附2原作日文。附3原作译文。

附:作者简介【我认为这位是比自我放逐更阴狠的自我解体……】
  中岛敦(1909年5月5日~1942年12月4日),小说家。1909年出生于日本东京市四谷区箪笥町。1岁时父母离异,由祖父母养育至7岁,并先后在两位继母的教养中成长。内向抑郁,体弱多病。中岛祖父及父亲都是汉学教师,终身从事教育。受家族影响,中岛有深厚的汉文学造诣,小说创作也大多取材于中国历史和文学。1933年3月毕业于东京大学国文学科,毕业论文题目为《耽美派研究》,以420页的篇幅,对森鸥外、永井荷风、谷崎润一郎等明治时期作家进行评说。4月进入东大大学院(研究生院)学习,研究主题为《森鸥外研究》。1934年3月从大学院退学,任私立横滨女子高等学校国文、英语教师,1941年3月退职。1942年末在因哮喘病发作逝世,享年33岁。
中岛敦1932年在东京第一高等学(现东京大学教养学部)校友会发表《有警察官的风景——一九二三年的速写》,描写在日本统治下朝鲜人的意识。以后他在校友会发表作品多篇。昭和17年《文学界》的“古谭”2月号发表了他的《山月记》、《文字祸》,受到文坛注目与好评,接着的5月号刊载了《光与风与梦》,被推荐为介川文学奖侯选作品。
  中岛敦的主要作品除上述以外,还有《环礁》、《斗南先生》、《狼疾记》、《悟净出世》、《李陵》、《弟子》、《盈虚》、《牛人》等。

附2:原文
山月記
中島敦

隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところすこぶる厚く、賎吏に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなく官を退いたのちは、故山、(将のみぎ+虎、かく)略に帰臥し、人と交を絶って、ひたすら詩作に耽った。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遣そうとしたのである。しかし、文名は容易に揚がらず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴はようやく焦燥に駆られてきた。このころからその容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみいたずらに炯々として、かつて進士に登第したころの豊頬の美少年の俤は、どこに求めようもない。数年ののち、貧窮に堪えず、妻子の衣食のためについに節を屈して、ふたたび東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。一方、これは、己の詩業に半ば絶望したためでもある。かつての同輩はすでに遥か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才李徴の自尊心をいかに傷つけたかは、想像に難くない。彼は怏々として楽しまず、狂悖の性はいよいよ抑えがたくなった。一年ののち、公用で旅に出、汝水のほとりに宿ったとき、ついに発狂した。ある夜半、急に顔色を変えて寝床から起上がると、何か訳の分からぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇の中へ駈出した。彼は二度と戻って来なかった。付近の山野を捜索しても、なんの手がかりもない。その後李徴がどうなったかを知る者は、誰もなかった。

翌年、監察御史、陳郡の袁(人+參、以下、參とする)という者、勅命を奉じて嶺南に使し、途に商於の地に宿った。次の朝まだ暗いうちに出発しようとしたところ、駅吏が言うことに、これから先の道に人喰虎が出るゆえ、旅人は白昼でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、今少し待たれたがよろしでしょうと。袁參は、しかし、供廻りの多勢なのを恃に、駅吏の言葉を斥けて、出発した。残月の光をたよりに林中の草地を通って行ったとき、はたして一匹の猛虎が叢の中から躍り出た。虎は、あわや袁參に躍りかかると見えたが、たちまち身を翻して、元の叢に隠れた。叢の中から人間の声で「あぶないところだった」と繰返し呟くのが聞こえた。その声に袁參は聞き憶えがあった。驚懼のうちにも、彼は咄嗟に思いあたって、叫んだ。「その声、わが友、李徴子ではないか?」袁參は李徴と同年に進士の第に登り、友人の少なかった李徴にとっては、最も親しい友であった。温和な袁參の性格が、峻峭な李徴の性情と衝突しなかったためであろう。

叢の中からは、しばらく返辞がなかった。しのび泣きかと思われる微かな声がときどき洩れるばかりである。ややあって、低い声が答えた。「いかにも自分は隴西の李徴である」と。

袁參は恐怖を忘れ、馬から下りて叢に近づき、懐かしげに久濶を叙した。そして、なぜ叢から出て来ないのかと問うた。李徴の声が答えて言う。自分はいまや異類の身となっている。どうして、おめおめと故人の前にあさましい姿をさらせようか。かつまた、自分が姿を現わせば、必ず君に畏怖嫌厭の情を起こさせるに決まっているからだ。しかし、今、はからずも故人に遇うことを得て、愧(赤+報のみぎ)の念をも忘れるほどに懐かしい。どうか、ほんのしばらくでいいから、わが醜悪な今の外形を厭わず、かつて君の友李徴であったこの自分と話を交してくれないだろうか。

あとで考えれば不思議だったが、そのとき、袁參は、この超自然の怪異を、実に素直に受入れて、少しも怪しもうとしなかった。彼は部下に命じて行列の進行を停め、自分は叢のそばに立って、見えざる声と対談した。都の噂、旧友の消息、袁參が現在の地位、それに対する李徴の祝辞。青年時代に親しかった者同士の、あの隔てのない語調で、それらが語られたのち、袁參は、李徴がどうして今の身となるに至ったかを訊ねた。草中の声は次のように語った。

今から一年ほど前、自分が旅に出て汝水のほとりに泊まった夜のこと、一睡してから、ふと眼を覚ますと、戸外で誰かがわた名を呼んでいる。声に応じて外へ出て見ると、声は闇の中からしきりに自分を招く。覚えず、自分は声を追うて走り出した。無我夢中で駈けて行くうちに、いつしか途は山林に入り、しかも、知らぬまに自分は左右の手で地を攫んで走っていた。何か身体中に充ち満ちたような感じで、軽々と岩石を跳び越えて行った。気がつくと、手先や肱のあたりに毛を生じているらしい。少し明るくなってから、谷川に臨んで姿を映して見ると、すでに、虎となっていた。自分は初め眼を信じなかった。次に茫然とした。そうして、懼れた。まったく、どんなことでも起こりうるのだと思うて、深く懼れた。しかし、なぜこんなことになったのだろう。分からぬ。まったく何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きていくのが、我々生きもののさだめだ。自分はすぐに死を想うた。しかし、そのとき、眼の前を一匹の兎が駈け過ぎるのを見たとたんに、自分の中の人間はたちまち姿を消した。ふたたび自分の中の人間が目を覚ましたとき、自分の口は兎の血に塗れ、あたりには兎の毛が散らばっていた。これが虎としての最初の経験であった。それ以来今までにどんな所行をし続けてきたか、それはとうてい語るに忍びない。ただ、一日のうちに必ず数時間は、人間の心が還ってくる。そういうときには、かつての日と同じく、人語も操れれば、複雑な思考にも勘えうるし、経書の章句を誦んずることもできる。その人間の心で、虎としての己の残虐な行ないのあとを見、己の運命をふりかえるときが、最も情けなく、恐ろしく、憤ろしい。しかし、その、人間にかえる数時間も、日を経るに従ってしだいに短くなっていく。今では、どうして虎などになったかと怪しんでいたの、この間ひょいと気がついてみたら、己はどうして以前、人間だったのかと考えていた。これは恐ろしいことだ。今少し経てば、己の中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋れて消えてしまうだろう。ちょうど、古い宮殿の礎がしだいに土砂に埋没するように。そうすれば、しまいに己は自分の過去を忘れ果て、一匹の虎として狂い廻り、今日のように途で君と出会っても故人と認めることなく、君を裂き喰うてなんの悔いも感じないだろう。いったい、獣でも人間でも、もとは何か他のものだったんだろう。初めはそれを憶えていたが、しだいに忘れてしまい、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか?いや、そんなことはどうでもいい。己の中の人間の心がすっかり消えてしまえば、おそらく、そのほうが、己はしあわせになれるだろう。だのに、己の中の人間は、そのことを、このうえなく恐ろしく感じているのだ。ああ、まったく、どんなに、恐ろしく、哀しく、切なく思っているだろう!己が人間だった記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らない。誰にも分らない。己と同じ身の上になった者でなければ。ところで、そうだ。己がすっかり人間でなくなってしまう前に、一つ頼んでおきたいことがある。

袁參はじめ一行は、息をのんで、叢中の声の語る不思議に聞入っていた。声は続けて言う。

ほかでもない。自分は元来詩人として名をなすつもりでいた。しかも、業いまだ成らざるに、この運命に立至った。かつの作るところの詩数百篇、もとより、まだ世に行なわれておらぬ。遺稿の所在ももはや判らなくなっていよう。ところで、そのうち、今もなおき記誦せるものが数十ある。これをわがために伝録していただきたいのだ。なにも、これによって一人前の詩人面をしたいのではない。作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ。

袁參は部下に命じ、筆を執って叢中の声に随って書きとらせた。李徴の声は叢の中から朗々と響いた。長短およそ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才能の非凡を思わせるものばかりである。しかし、袁參は感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。なるほど、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、どこか(非常に微妙な点において)欠けるところがあるのではないか、と。

旧詩を吐き終わった李徴の声は、突然調子を変え、自らを嘲るがごとくに言った。

羞しいことだが、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、己は、己の詩集が長安風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見ることがあるのだ。岩窟の中に横たわって見る夢にだよ。嗤ってくれ。詩人になりそこなって虎になった哀れな男を。(袁參は昔の青年李徴の自嘲癖を思出しながら、哀しく聞いていた。)そうだ。お笑いぐさついでに、今の懐を即席の詩に述べてみようか。この虎の中に、まだ、かつての李徴が生きているしるしに。

袁參はまた下吏に命じてこれを書きとらせた。その詩に言う。

偶因狂疾成殊類
災患相仍不可逃
今日爪牙誰敢敵
当時声跡共相高
我為異物蓬(莽のうえ+矛)下
君已乗(車+召)気勢豪
此夕渓山対明月
不成長嘯但成(口+槹のみぎ)

偶、狂疾に因りて殊類と成り
災患、相仍りて逃る可か不らず
今日の爪牙、敢えて誰か敵せん
当時の声跡、共に相高し
我は異物と為る蓬(莽のうえ+矛)の下
君は已に(車+召)に乗じて気勢、豪なり
此の夕べ、渓山の明月に対し
長嘯を成さ不に但(口+槹のみぎ)をし成す

時に、残月、光冷ややかに、白露は地に滋く、樹間を渡る冷風はすでに暁の近きを告げていら。人々はもはや事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄倖を嘆じた。李徴の声はふたたび続ける。

何故こんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えようによれば、思い当たることが全然ないでもない。人間であったとき、己は努めて人との交わりを避けた。人々は己を倨傲だ、尊大だといった。実は、それがほとんど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。もちろん、かつての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心がなかったとは言わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師についたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、また、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。ともに、わが臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを惧れるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず、また、己の球なるべきを半ば信ずるがゆえに、碌々として瓦に伍することもできなかった。己はしだいに世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによってますます己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣に当たるのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外径をかくのごとく、内心にふさわしいものに変えてしまったのだ。今思えば、まったく、己は、己の有っていた僅かばかりの才能を空費してしまったわけだ。人生は何事を為さぬにはあまりに長いが、何事かを為すにはあまりに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかもしれないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己のすべてだったのだ。己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者がいくらでもいるのだ。虎と成り果てた今、己はもはや人間としての生活はできない。たとえ、今、己が頭の中で、どんな優れた詩を作ったにしたところで、どういう手段で発表できよう。まして、己の頭の中は日ごとに虎に近づいていく。どうすればいいのだ。己の空費された過去は?己は堪らなくなる。そういうとき、己は、向こうの山の頂の巌に上り、空谷に向かって咆ええた。誰かにこの苦しみが分ってもらないかと。しかし、獣どもは己の声を聞いて、ただ、懼れ、ひれ伏すばかり。山も樹も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮けっているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。ちょうど、人間だったころ、己の傷つきやすい内心を誰も理解してくれなかったように。己の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない。

ようやく、四方の暗さが薄らいできた。木の間を伝って、どこからか、暁角が哀しげに響はじめた。

もはや、別れを告げねばならぬ。酔わねばならぬ時が、(虎に還らねばならぬ時が)近づいたから、と、李徴の声が言った。だが、お別れする前にもう一つ頼みがある。それはわが妻子のことだ。彼らはいまだ(将のみぎ+虎、かく)略にいる。もとより、己の運命については知るはずがない。君が南から帰ったら、己はすでに死んだと彼らに告げてもらえないだろうか。けっして今日のことだけは明かさないでほしい。厚かましいお願いだが、彼らの孤弱を憐れんで、今後とも道塗に飢凍することのないように計らっていただけるならば、自分にとって、恩倖、これにすぐたるはない。

言い終わって、叢中から慟哭の声が聞こえた。袁參もまた涙を泛べ、欣んで李徴の意に副いたい旨を答えた。李徴の声はしかしたちまちまた先刻の自嘲的な調子に戻って、言った。

ほんとうは、まず、このことのほうを先にお願いすべきだったのだ、己が人間だったなら。飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業のほうを気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕すのだ。

そうして、附加えて言うことに、袁參が嶺南からの帰途にはけっしてこの途を通らないでほしい、そのときには自分が酔っていて故人を認めずに襲いかかるかもしれないから。また、今別れてから、前方百歩の所にある、あの丘に上ったら、こちらを振りかえって見てもらいたい。自分は今の姿をもう一度お目にかけよう。勇に誇ろうしてではない。わが醜悪な姿を示して、もって、ふたたびここを過ぎて自分に会おうとの気持を君に起こさせないためであると。

袁參は叢に向かって、懇ろに別れの言葉を述べ、馬に上った。叢の中からは、また、堪ええざるがごとき悲泣の声が洩れた。李徴も幾度か叢を振返りながら、涙の中に出発した。一行が丘の上についたとき、彼らは、言われたとおりに振返って、先程の林間の草地を眺めた。たちまち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼らは見た。虎は、すでに白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、また、元の叢に躍り入って、ふたたびその姿を見なかった。

附3:译文
《山月记》
中岛敦 著
梁艳萍 译

  陇西 李徵博学聪慧,才情颖异。在天宝 末年,仅弱冠之年就进士及第,身登虎榜,随即被补为江南县尉。由于性情狷介,自视颇高,因而不甘心做一个卑微的小吏,没过多久就辞官还乡,返归故里,在家乡虢略隐居。由于整日沉湎于诗词歌赋,所以断绝了与时世、士人的往还。李徵自忖:与其做个低等小吏,在长官面前卑躬屈节、低声下气,还不如做诗人百年之后名垂青史,千古流芳。但是,文名尚未远播,生活的困窘却与日俱。李徵渐渐地焦躁不安起来,相貌也变得冷峻峭刻,脸颊深陷,只有双眸依旧炯炯有神。那个往昔进士登科金榜提名时面容丰美的少年形象再也无从寻觅了。几年以后,由于不堪忍受的贫穷困顿,也为妻儿老小的衣食生计,不得不再次屈膝忍辱效力官场,前往东部担任一个地方官吏。李徵之所以如此选择,一是他对自己选择的诗歌之路有些绝望,一是过去的同年、同僚都已经进位升阶,高官厚禄,而他如今却不得不向这些自己过去根本不放在眼里的愚钝之辈颔首拜谒。此事给昔日才俊卓异、傲视群雄的李徵以莫大的伤害,他益发地孤介、自尊。因而他在官场总是郁郁不乐,狷狂的个性越来越难以自控。一年以后因公外出,旅宿汝水河畔时,终因绝望而发狂。那天夜半,李徵脸色突变着从睡床爬起,一边嘴里说着莫名其妙的话,一边喊叫着下了床,冲入幽暗之中,再也没有回来。随从的人搜遍了附近的山野,也没有找到李徵的任何踪迹。从那以后,再也没有人知晓李徵的下落。

  翌年,祖籍陈郡的监察御史袁傪奉诏出使岭南时,途中在商于地界歇宿。次日凌晨,天色未明时就要出发。这时,驿站的官吏解释说:“从这儿往前不远的路上,有吃人的老虎出没,行旅之人不是白天是不敢通过的。现在天色尚早,官人可以在此稍做等待,天亮以后,再走不迟。”可是,袁傪却依仗自己的随从人多势众,并没有理会驿站官吏的劝阻,立即登程上路了。借着残月的微光,袁傪一行正要通过林间草地时,果真有一匹猛虎突然从草丛中一跃而出,眼看就要扑到袁傪时,却在瞬间回转身体,隐入了草丛之中。接着,从草丛里传来了一个人反复念叨“好险哪!好险哪”的话音。袁傪听着这声音特别耳熟,在惊惧之中猛然想起什么似得,便叫到:“哎呀!那岂不是在下好友李徵的声音吗?”袁傪和李徵同年登进士第,友人甚少的李徵,袁惨算是他最亲密的朋友了。那或许是因为生性温和的袁傪和性格狷介的李徵从未发生过冲突的缘故吧。

  草丛中,良久没有回应,却不时传来隐忍的、微弱的哭泣声。好一阵才低声应答:“在下确实是陇西李徵。”

  袁傪忘记了恐惧,翻身下马,走近草丛。用眷恋的口吻说道:“久违了!”“我们在此重逢,年兄为何不愿现身啊?” 袁傪问。

  李徵的声音回答说:“现如今在下为异类之身,如何可以腆着厚颜在年兄面前显露卑贱的形体呢?况且,如若在下自行现身,必定会使年兄你心生恐怖厌恶之情。可是,在下的确没想到会在此见到故人,此刻是依恋之情胜于自惭形秽(羞惭)之念。倘若年兄不嫌弃在下如今丑陋的外貌,就请稍稍耽搁一点时间,和你以前的老朋友李徵叙叙旧吧。”

  此事倘若在以后回想起来简直不可思议。那时,袁傪竟坦然地接受了这超自然的怪异事实,没有丝毫见怪。他命部下停止前行,自己站在草丛旁,与那看不见的声音对谈起来。他们二人谈到了京都的传闻、旧友的近况、袁傪现在的地位、以及李徵对他的祝福。青年时代就声气相投的两个人,用没有任何隔阂的语调谈了上面那些话之后,袁傪问寻李徵是何缘故变成现在的姿容,草丛里的声音讲了以下的话语。

大约距现在一年多以前,在下出差夜宿于汝水之滨,一觉醒来,睁开眼睛的瞬间,就听到门外有谁在呼唤在下的名字,应声走出门外时,那声音在幽暗处召唤着。在下不自觉地就跟着声音跑了出去。象在梦中一般忘记自我地跑着、跑着,不知不觉一直跑进了山林。并且在不自觉间在下的左右手都可以着地奔跑,感到身体内部犹如灌注生气一般充满了力量,可以轻而易举地飞跃岩石峭壁。当在下清醒过来时,手指和臂肘的部位都长满了毛。天色微明后,看到山谷溪涧映现着的自己的身影时,在下发现自己已经变成了老虎。起初在下不敢相信自己的眼睛,继而想这是仍然是在做梦,就犹如自己曾经历过的那种一个梦中还套着的另一个梦的境域一般。等觉悟到眼前发生的一切不是梦的时候,在下茫然了,随之而来的是恐怖。在下完全无法判明为什么会发生那样的事,因而内心感到非常惶恐。

  可是,为什么会发生这样的事情?在下不名究里。其实有时侯,我们完全不需要判明是怎么回事。不需要判明真相地接受强力意志的胁迫,不需要追寻理由地活下去,这就是我们作为生物的命数。在下想到了即刻去死。就在那时,当看到一只兔子从眼前跑过的刹那,在下身体内“人”立刻消失得无影无踪。当“人”的知觉再次在体内苏醒的时候,在下的嘴巴已经沾满了兔子的鲜血,周边散落着兔子的皮毛。这是在下身为老虎的最初经验。自那之后一直到现在,在下接连不断地还做了些什么,实在是不忍再次提及呀。只不过,每一日里必定会有几小时会复苏人的意识。复苏的时候,和从前一样,可以说人话,也具备复杂的思辩能力、可以背诵四书五经的章句。以人类的心灵尺度,审视自己变为老虎之后残虐的行径。反思自己的命运时,是悲哀、恐惧、慨叹的。可恢复为人的时间随着岁月的推移日渐缩短。到如今,居然想到自己以前为什么会是人?实乃非常恐怖之事啊!或许再过一些时日,在下自己身体里的人性,也会完全消失于身为野兽之后习性之中吧?犹如古老宫殿的基石慢慢被砂土掩埋一般,最终,在下会彻底地忘却自己的过去,完全作为一只老虎疯狂旋转,啸傲山林。像今天这样,即使在途中遇到年兄,也无法辩识年兄是至交好友,将年兄生吞活剥了也不会有丝毫的悔愧之意吧。兽也罢,人也罢,究竟应该如何区分呢?刚刚觉识到这类问题,旋即又可能会忘记,难道在下不是一开始就认定自己应该是如今的模样吗?唉,那事无论如何都无所谓了。或许,自身里面的“人类之心”消失净尽,反倒会是在下的福分吧!可是,在下自己的“人类之心”现在却对此事感到无与伦比的恐惧。成为兽类,那该是多么令人恐怖、悲哀,难以想象的痛苦啊!在下这样的心情谁人能理解?谁人能体味?除非他自己也变成在下现在这样。可是,那样的话……在下的“人类之心”完全消泯之前,想请年兄答应一个请求。

袁傪一行屏住呼吸,凝神倾听来自草丛那不可思议的谈话语,那声音还在继续着:

  其实也没别的。在下本来打算作为诗人文名远播。岂料夙业未成,就遭遇如此命运。在下曾作诗文数百篇,尚未在士人中流传,原稿也不知散遗何处。幸好现在还可以记诵其中数十首,烦请年兄代为笔录。并非想藉此成为诗界名流,也不晓拙作工对是否恰切。但不把这些令在下家产尽失,心神迷狂,曾经半生执著的诗作,哪怕是一小部分传之后世的话,在下即使去死,也会死不瞑目的。

  袁傪令部属取来笔墨,跟随草丛的话语逐句笔录。李徵的声音从草丛朗朗响起。长诗短章计约三十篇。作品格调高雅、意趣卓逸,一诵既知作者才情超凡。袁傪一边慨叹,一边隐约感觉:不错!李徵禀赋一流是毋庸质疑的,可即使如此,要达致诗歌神品,他的诗在那非常微妙之处,似乎又缺点什么似得。

  吟罢旧诗,李徵的声调突然一变,自嘲的说道:

  真是令人羞愧呀,纵然在下变成现在这可怜模样,可在下仍然梦想自己的诗作为长安城里风流雅士传诵。这是在下横卧在石窟岩洞里做的梦。耻笑在下吧!耻笑梦想成为诗家却错变为老虎的男子吧(袁傪记起青年李徵有自嘲之癖,悲切地默然倾听着)……那好,既是笑柄,我就即兴吟诗一首,见证这老虎中存活着的仍然是当年的李徵。

  袁傪又命部属记录此诗,李徵的声音(老虎)吟道:

   偶因狂疾成殊类 灾患相仍不可逃

   今日爪牙谁敢敌 当时声迹共相高

   我为异物蓬茅下 君已乘轺气势豪

   此夕溪山对明月 不成长啸但成嗥

  这个时候,月残、光冷、晨露侵袭大地,穿越树林间的寒风告知人们拂晓将至。可每个人完全忘了事情鬼谲,寂静地在内心感叹诗人的不幸。李徵的声音复又响起:

  在下先前曾说不解自己为何遭此命运,但仔细思忖,也不能说是全然地意外。在下为人的时,刻意回避与他人的交往,导致所有人以为在下倨傲自满、妄自尊大。其实,他人并不知道,那是一种近乎自卑的羞耻心作祟。不言而喻,被呼为故乡鬼才的在下,不可能没有自尊心。但(现在看来)那是近乎怯懦的自尊心罢了。在下一面想成就诗名,一面却不愿拜师求教、也耻于和诗友探讨,切磋诗艺。固守高洁,不与流俗为伍,而这完全是在下怯懦的自尊心和可怜的羞耻心导致的。既忧虑自己并非珠玉,又不愿刻苦磨砺,另外,又有几分相信一己或可以琢磨成玉,因此,不屑于与碌碌无为的瓦当共处。渐渐地远离世间,疏远人事。其实是愤懑和羞惭越来越的育肥了内在本来孱弱的自尊心的结果。每个人的性情中都有兽的一面,各人都应是自己的驯兽狮。在下的猛兽就是妄自尊大的羞耻心,是猛虎。在下的羞耻心使自己蒙受损失,使妻子儿女痛苦,也使朋友受到了伤害,结果,自己的外形和内心变得难以相称。而今反思自己,完全空耗了仅有的才华。所谓 “人生何事都不做嫌太长,凡事都做则嫌太短」之类警句,简直是文人的卖弄,只不过是暴露出自己才情不足、卑怯的危惧感和厌憎刻苦的懒惰而已。那些比在下更缺乏才识的人,为了成就梦想,经过专心致志的努力后,成为威风凛凛的一代诗家者大有人在。如今变为老虎,在下终于明白了一切。想到此,真是灼胸透骨般地痛悔。可是,在下已经无法回复人的生活,纵令头脑仍可成就妙诗美章,可又能靠何种手段去发表传播呢?更何况,在下头脑一天比一天更靠近老虎。真不知如何是好?在下白白耗费了过去时光。一旦想起都难以承受。每当此时,自己就爬上对面山顶的巨石,向着空谷咆哮。多想向人倾诉自己烧灼心胸的痛苦啊。也就是昨晚,在下无法排遣心中的伤痛,在那里对着月亮怒吼。但是,兽类听到我的狂嚎,只有恐惧、畏服,而山峦、明月、露珠,全都无法体会是一只老虎捶胸顿足地狂怒咆哮,伏天抢地地哀婉嗟叹,没有人能理解自己痛苦内心世界。就像为人时,无人洞晓在下那容易受伤的内心一样。濡湿在下老虎皮毛的,又岂只是夜间的露水?

  渐渐地天光微曦,暗夜淡去。黎明的号角穿响彻林间,哀怨凄婉。

  不得不告别了。“在下不得不去陶醉了”(不得不还原为老虎了)李徵的声音道。“辞别前,在下还有一事请求,事关妻儿。如今家小依旧居住虢略,尚未知晓在下运命。年兄若从南方返归,烦请告知舍中在下已经辞别人世,万万不可明告今日实情。此乃在下的厚颜之请,年兄勿怪才是。年兄如若怜悯寒舍妻弱子孤,帮补一二,使其免受饥馑冻馁,也算对在下恩遇啊。

  言罢,草丛里传出恸哭之声。袁傪也噙着热泪,欣然应允。李徵的话语很快回复了先前的自嘲口吻:

  “在下果真是人的话,应最先请求此事,可惜,在下关注一己微不足道的诗名远甚于饥寒交迫的妻儿,沦落兽道不足怪也!”

  李徵又道:“另有一言,请年兄谨记。兄从岭南返程时,万万不可再走此路。那时,在下或许沉醉虎身,不识老友而袭击!今朝一别,年兄登上前方百步之遥的山岗,请往此处回首,再看一回在下如今的模样,非是夸耀好勇,乃是希图再现丑陋身姿,年兄就不愿再路经此地看到在下了。

  袁傪面向草丛叙说道别之言,抬身上马。草丛里传出难以抑制的悲泣。袁傪频频回头,泪眼朦胧地登程上路。

  袁傪一行走上山丘,依照李徵的嘱咐回首眺望方才停留的树林草地。他们看到一只斑斓猛虎从茂密的草丛跃出。老虎朝着失色的残月仰天长哮,数声之后,再度跃入草丛,消失了踪影。

据日本旺文社1967年1月版翻译

  陇西,位于甘肃省西部,陇山的西面,故称陇西。
  天宝,唐玄宗李隆基的年号,公元742-755年。
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